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栃木県さくら市
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史跡・旧跡
ユニバーサルID:jp-tourism/1925497d-3f58-4a23-a819-b530d55f20af
カツヤマジョウセキ
正規名称:勝山城跡
勝山城跡
更新日:
- 史跡・旧跡
勝山城は、鬼怒川を見下ろす崖端城(断崖を利用して築かれた城)として鎌倉時代末頃に氏家氏によって築かれ、その後慶長二(1597)年の廃城までおよそ300年の歴史を持つ。
現在の塩谷町から芳賀町まで広がる氏家郡24郷支配の拠点であり、宇都宮氏の配下として北辺を守る役割も果たす重要な場所であった。
南北朝期から戦国期を通じては、芳賀駿河守が城主の時代に改修が行われ、城の各所に堅固な設備が見られる。
現在確認されている城域は、南北450メートル、東西は北辺で325メートルあり、段丘先端部の本丸をL字に二の丸、三の丸が囲む連各郭式の縄張り(城の設計をいう)が想定される。
本丸は、内径で東西80メートル、南北70メートルの方形で一周する土塁は本丸内の高さ3~5メートル、堀底は7~8メートル。
本丸左側の一段低い土塁部分が大手(正面入口)で、堀内に四脚の橋が架けられていた。大手北側の櫓台が張り出して横矢掛け(侵入する敵に横から矢を射る施設)の構造があり、南西部の搦め手(裏側入口、通用口)は土塁の折を利用した横掛けの施設と橋がある。
時代 南北朝期