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東京都小笠原諸島小笠原村
[横浜・鎌倉・湘南伊豆七島・小笠原小笠原諸島]
史跡・旧跡
ユニバーサルID:jp-tourism/1d860df5-579e-4806-aaa6-d02df7ac0262
カンリンマルボチ
正規名称:咸臨丸墓地
咸臨丸墓地
更新日:
- 史跡・旧跡
1862年1月(文久元年12月)、江戸幕府は小笠原島回収・開拓のため、外国奉行水野忠徳一行を幕府軍艦咸臨丸で派遣し、小笠原島を調査させた。その咸臨丸で亡くなった乗組員を葬った墓地で、小笠原島に漂流し亡くなった者の霊を慰めるため、翌年の1862年9月(文久2年8月)、八丈島の移民を乗せた幕府軍艦朝陽丸で「漂流者冥福碑」を運搬し、奥村の地に建立した。この碑は、小笠原島が古くから日本の領土である証拠の一つなるようにとの意味もあって建てられたものである。
1993年(平成5年)、土砂に埋もれていたこの碑を掘り起こし、他の墓石等とともに周辺より一段高くして、土砂に埋もれないよう整備し、現在では小笠原村の文化財に指定されている。