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和歌山県新宮市
[南紀・伊勢・志摩南紀新宮・瀞峡]
史跡・旧跡
ユニバーサルID:jp-tourism/97fe4dc1-9e33-4ddc-9cd0-489d432aff47
シングウタンカクジョウセキ
正規名称:新宮(丹鶴)城跡
新宮(丹鶴)城跡
更新日:
- 史跡・旧跡
北は断崖で新宮川を眼下にし、東は太平洋を望み、南西部は堀を隔てて城下を見下ろす、という要害の地につくられた平山城であった。1618(元和4)年に浅野忠吉が築城に着手、1633(寛永10)年にほぼ完成、1667(寛文7)年水野重上のときに修復・拡大された。築城以前この山に丹鶴姫開基の東仙寺があったため丹鶴城と名付けたと伝える。代々水野氏三万五千石の居城としてつづいたが、明治維新で城は取り壊された。◎水野忠央(1814-65)江戸藩邸に生まれる。紀州藩新宮城主。幕末期、紀藩執政として幕閣に縦横画策、幼主菊千代(家茂)を将軍職に就かせる。のち幕府の政変により失脚。吉田松陰は忠央を評して「水野奸にして才あり、世すこぶるこれを恐る」という。『丹鶴叢書』158巻を編纂。
時代 1601