周辺の宿泊予報
周辺の天気情報
大分県大分市
[九州大分・臼杵大分・臼杵]
史跡・旧跡
ユニバーサルID:jp-tourism/d6036d08-f0f6-4281-930c-609f9483e10e
-
正規名称:豊予要塞砲台跡
豊予要塞砲台跡
更新日:
- 史跡・旧跡
豊予要塞(ほうよようさい)は、豊予海峡の防備のため設置された大日本帝国陸軍の二等要塞で、四国側の佐田岬地区、九州側の鶴見半島地区及び佐賀関(関崎・高島地区)の3つの地区に分かれていました。
各砲台を護る豊予要塞重砲兵連隊は、1941年(昭和16年)に佐賀関で編成されました。
豊予要塞の司令部は、関崎砲台から3.5㎞離れた場所(現在の佐賀関中学校)に官舎がつくられ、砲台は大正9年に豊後水道から侵入する敵艦を撃退する為に建設されました。
2基の砲台には45式15cmカノン砲が設置されていましたが、実戦に使用される事無く終戦を迎えています。