周辺の宿泊予報
周辺の天気情報
岐阜県山県市
[名古屋・三河湾・美濃・飛騨岐阜・関ヶ原岐阜・関ヶ原]
その他名所
ユニバーサルID:jp-tourism/f25f5d4a-ba8a-47b7-b259-12b68b1d0493
アケチミツヒデノハカ(キキョウヅカ)
正規名称:明智光秀の墓(桔梗塚)
明智光秀の墓(桔梗塚)
更新日:
- その他名所
- 駐車場有り
- おすすめ
光秀の謎がこの地に眠る
山県市には明智光秀の出生や晩年に関する伝承が残っています。生誕の地と伝わる中洞地区山県市中洞地区は、明智光秀が生まれた地とされています。
この地区の伝承によると、光秀は土岐四郎基頼と、中洞の豪族である中洞源左衛門の娘との間に生まれ、その後、明智城主明智光綱の養子となったと伝えられています。
誕生にまつわるものとして、中洞白山神社境内には、光秀の母が産湯の水を汲んだという井戸が残されています。
また、地区内を流れる武儀川には、光秀を身ごもった際に母が「生まれてくる子が男の子であれば、たとえ三日でも天下を取る男子を」と祈ったという行徳岩があります。
光秀はこの地で生きていた!?中洞地区の伝承では、本能寺の変(家康が「伊賀越え」を行う要因となった事件)のあと、山崎の合戦で討ち死にしたのは影武者であり、中洞に落ち延びて住んでいたと伝えられています。光秀は郷里の中洞に落ち延びた後、山崎の合戦で討ち死にした影武者・荒木行信の忠誠に深く感銘して「荒」と「深」をとって、自ら荒深小五郎と名乗り、この地で暮らしていました。その後、慶長5年(1600年)、関ケ原の合戦に参戦しようとした道中、増水した藪川(根尾川)で馬共に流されて亡くなったとされています。中洞白山神社の林の中に光秀の墓とされる「桔梗塚」があり、現在まで地元の荒深氏一族によって大切に守り続けられ、年に2回(4月第2日曜日、12月第1日曜日)供養祭が行われています。
周辺の天気情報
周辺の宿泊予報
基本情報
- 名称
- 明智光秀の墓(桔梗塚)
- 所在地
- 〒501-2258 岐阜県山県市中洞1020番地 中洞白山神社
詳細情報
- 営業日時備考
- いつでも見学可能
- 料金の備考
- 無料
- アクセス
- 岐阜バス板取線樫瀬バス停下車徒歩約16分 関広見ICから車で約16分
マップ
お問い合わせ
- 山県市まちづくり・企業支援課
- TEL