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岐阜県可児市
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史跡・旧跡
ユニバーサルID:jp-tourism/0c6fb93f-1e66-4c11-9c6b-ca9459d3df75
ジョウキュウノラン オオイドノワタリノコセンジョウアト
正規名称:承久の乱 大井戸渡の古戦場跡
承久の乱 大井戸渡の古戦場跡
更新日:
- 史跡・旧跡
- 駐車場有り
- おすすめ
鎌倉時代の「天下分け目」。承久の乱の舞台
承久3年(1221年)6月、幕府軍の挙兵に対抗し、朝廷軍は木曽川沿いに兵を配置しました。幕府側の東山道軍5万余騎が大井戸の渡(わたり)に攻め寄せ、戦乱の火ぶたが切られました。
この「大井戸の戦い」では、数に勝る幕府軍が朝廷軍を一気に押し込み、その後の戦いを優位に進めました。現在の可児市土田渡町付近は、承久の乱の口火を切った「大井戸の戦い」の舞台となった場所です。
【土田下切の五輪塔群(伝・承久の乱戦死者供養塔)】
土田下切にある弘法堂の前には、古い五輪塔や宝きょう印塔、石造仏群が集められています。
これらは「承久の戦いの戦死者の五輪塔」だと地元では古くから言い伝えられてきました。
土田地区の下切や渡にかけての開墾畑には、五輪塔などの石造物が土中に埋もれていることがあり、これらを開墾者が畑の隅に祀ったり、弘法堂に安置するなどして、長い間弔い続けてきたとされています。
【大炊戸(おおいど)天満宮(土田白鬚神社境内)】
土田白鬚神社は土田地区の鎮守であり、その創建は一説には平安時代とも言われています。
承久の乱における地名「おおいど」は、現在は地図から消えてしまいましたが、境内社の大炊戸天満宮にその名を残しています。
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基本情報
- 名称
- 承久の乱 大井戸渡の古戦場跡
- 所在地
- 岐阜県可児市土田2691-1
詳細情報
- アクセス
- 名鉄広見線「日本ライン今渡」駅から徒歩20分。
- 駐車場
- 大型バス: 日特スパークテックWKS(ワークス)パーク駐車場利用 普通自動車: 日特スパークテックWKS(ワークス)パーク駐車場利用
マップ
お問い合わせ
- 可児市観光交流課
- TEL
- FAX
- 0574-63-4754