埼玉県児玉郡上里町

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史跡・旧跡

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カナクボジョウシ

正規名称:金窪城址

金窪城址

更新日:

    • 史跡・旧跡
    武蔵国の最北端、上野国との国境部に築城。 一辺およそ200mの平城で、北と西に湧水の川が流れ、東は溝と三国街道、南は平坦な地形が広がっています。 現在でも4か所に土塁跡が残っています。 ・治承年間(1177~1180年)加治家季が築城。 ・元弘年間(1331~1333年)新田義貞の武将、畑時能や長浜六郎左衛門が居城。 ・大永の頃(1521~1527年)斉藤実盛の子孫、摂津守盛光が居城。 ・天正10年(1582年)定利の時、神流川合戦で織田信長の家臣、滝川一益に攻められ落城。

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    基本情報

    名称
    金窪城址
    所在地
    〒369-0301 埼玉県児玉郡上里町金久保

    詳細情報

    料金
    無料
    アクセス
    JR高崎線神保原駅 徒歩 30分
    駐車場
    有り

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