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宮崎県都城市
[九州宮崎・日南・霧島霧島・えびの高原]
史跡・旧跡
ユニバーサルID:jp-tourism/8425a4da-a3ff-4862-835f-8cf15b758d17
サツマザコヤカタアト
正規名称:薩摩迫館跡
薩摩迫館跡
更新日:
- 史跡・旧跡
島津家4代忠宗の6男資忠が、観応2年(1351)の合戦の功によって文和元年(1352)に足利将軍家から島津荘日向方北郷の地300町を賜り、この地を領有するようになった。その時資忠は北郷薩摩迫(現山田町)に移住して北郷氏を名乗るようになったという。また、北郷5代持久が寛正6年(1465)に高城からここに移ったとも伝わる。平成5年に行われた発掘調査により、中世の掘立柱建物跡の柱穴や溝状遺構が見つかり、14世紀後半から15世紀初めの中国(明)の青磁や、15世紀中頃の備前焼の擂鉢などが出土している。