岐阜県羽島郡笠松町

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ムドウジノタタカイアト コウトクジ ボンショウ

正規名称:無動寺の戦い跡 光得寺 梵鐘

無動寺の戦い跡 光得寺 梵鐘

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    斎藤道三と織田信秀との戦いの地 天文13年(1544年)8月、斉藤道三と尾張(現愛知県)の織田信秀(織田信長)の父との戦いの地。織田勢5000余人は、越前の朝倉勢7000余人と相呼応して、8月15日を期して稲葉山を挾撃します。斉藤道三の娘婿である土岐頼香(よりたか)を大将にして、無動寺村の安養山光得寺を砦として改修し無動寺城と名づけます。道三は、現在の羽島市付近に陣を張っていましたが、土岐氏を滅ぼすことを考えて家来に頼香殺害を密命し殺害させました。頼香は、道三(義父)のために戦いながら、土岐氏一族を亡くさんとする野望の前に、何の罪もなく消えた。【光徳寺の梵鐘】文明7年(1475年)、室町時代に手力雄神社の鐘として作られた梵鐘で岐阜県の重要文化財に指定されています。特に音色が良いといわれています。織田信長の美濃攻めの時、陣鐘として使ったという言い伝えもあります。

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    基本情報

    名称
    無動寺の戦い跡 光得寺 梵鐘
    所在地
    〒501-6033 岐阜県羽島郡笠松町無動寺221

    詳細情報

    文化財
    都道府県指定重要文化財 指定年: 1965年6月

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