大阪府南河内郡千早赤阪村

[大阪・神戸南河内南河内]

史跡・旧跡

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シモアカサカジョウセキ

正規名称下赤坂城跡

下赤坂城跡

更新日

    • 史跡・旧跡
    元弘元年(1331)、鎌倉幕府討幕計画が発覚し、後醍醐天皇が笠置山に逃れました。楠木正成はこれに合わせて挙兵、この赤阪城を急いで築城しました。しかし、にわか造りであったため、すぐに落城、正成はいったん退きます。その後、元弘2年(1332)、正成はこの城を再び奪還、再度落城しますが、千早城での籠城戦の間に幕府は滅亡します。この城は、金剛山地から北方向へ延びる尾根上に位置します。残念ながら城としての遺構は残存していませんが、「甲取」(かぶとり)、「矢場武」(やばたけ)などの城を連想させる地名が残っています。なお、現在の村役場の上位付近には「主郭(本丸)跡」の伝承の残る平坦地がありますが、そこからは南河内地域が一望でき、眺望という観点からはまさに城であることを感じさせます。

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    基本情報

    名称
    下赤坂城跡
    所在地
    〒585-0055 大阪府南河内郡千早赤阪村東阪

    詳細情報

    アクセス
    近鉄長野線「富田林駅」よりバス「消防分署前」バス停下車 徒歩約10分 ※2023年12月21日より「千早赤阪村立中学校前」で一旦下車し「金剛登山口」行きバスに乗り継ぐ必要があります。

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