周辺の宿泊予報
経路検索
大阪府南河内郡千早赤阪村
[大阪・神戸南河内南河内]
史跡・旧跡
ユニバーサルID:jp-tourism/aa5fe852-5ef4-4972-a16e-a1af4a4f6d83
シモアカサカジョウセキ
正規名称:下赤坂城跡
下赤坂城跡

更新日:
- 史跡・旧跡
元弘元年(1331)、鎌倉幕府討幕計画が発覚し、後醍醐天皇が笠置山に逃れました。楠木正成はこれに合わせて挙兵、この赤阪城を急いで築城しました。しかし、にわか造りであったため、すぐに落城、正成はいったん退きます。その後、元弘2年(1332)、正成はこの城を再び奪還、再度落城しますが、千早城での籠城戦の間に幕府は滅亡します。この城は、金剛山地から北方向へ延びる尾根上に位置します。残念ながら城としての遺構は残存していませんが、「甲取」(かぶとり)、「矢場武」(やばたけ)などの城を連想させる地名が残っています。なお、現在の村役場の上位付近には「主郭(本丸)跡」の伝承の残る平坦地がありますが、そこからは南河内地域が一望でき、眺望という観点からはまさに城であることを感じさせます。
経路検索
周辺の宿泊予報
基本情報
- 名称
- 下赤坂城跡
- 所在地
- 〒585-0055 大阪府南河内郡千早赤阪村東阪
詳細情報
- アクセス
- 近鉄長野線「富田林駅」よりバス「消防分署前」バス停下車 徒歩約10分 ※2023年12月21日より「千早赤阪村立中学校前」で一旦下車し「金剛登山口」行きバスに乗り継ぐ必要があります。