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滋賀県大津市
[近江・若狭・北近畿浜大津浜大津]
古墳・遺跡
ユニバーサルID:jp-tourism/127f4226-b43f-417e-8644-1eaa8511d811
セタノカラハシ
正規名称:瀬田の唐橋
瀬田の唐橋
更新日:
- 古墳・遺跡
近江八景「瀬田の夕照」(せたのせきしょう)の主題である「瀬田唐橋」は、別名「瀬田橋」や「長橋」とも呼ばれ「唐橋を制するものは天下を制する」と言われ、古来より京都ののど元を握る交通・軍事の要衝として重視され、瀬田橋が戦の歴史舞台になって千八百年になりますが、特に有名なものは、古くは、大津京が幻の都となった大友皇子と大海人皇子(おおあまのおうじ)の『壬申(じんしん)の乱』をはじめ、『寿永の乱』、『承久の乱』『建武の乱』など幾多の戦乱の舞台ともなりました。織田信長の瀬田橋の架け替えは、比叡山焼き討ちの4年後、天正三年(1575)に諸国の道路修理を命じ関税を免除するとともに、瀬田城主、山岡景隆と木村次郎左ヱ右衛門を奉行に任命し、近江の朽木などから木材を調達し、長さ百八十間(約350m)、幅四間(約7m)の一本橋をわずか3ヶ月という突貫工事で架け替えさせたといわれています。
建築年代1 昭和(1979年)