特別寄稿 丁野 朗 氏

霊気満山 高尾山

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東京都唯一の日本遺産である「高尾山」。 国内外から観光客が数多く訪れるこの山は、どのようにして守り継がれてきたのでしょうか。八王子市の取組みを踏まえ、継承・発展という観点から考察していきます。 文化観光の分野で日本遺産の設立や日本文化の継承と発展に長年携わり、公益社団法人日本観光振興協会総合研究所の顧問でもある丁野 朗(ちょうの あきら)氏による連載寄稿・第8弾。

霊気に満ちた信仰の山 高尾山

「霊気満山 高尾山」。誠にリズミカルでいい響きである。これは、東京都唯一の日本遺産、八王子の日本遺産物語のタイトルであり、副題は、かつて桑の都と呼ばれた八王子を象徴する「人々の祈りが紡ぐ桑都物語」となっている。

「霊気満山」とは、生命の力=霊気が満ち溢れることを指す。高尾山の中腹にある薬王院浄心門には、そのタイトルのもとになった「霊気満山」と書かれた扁額がある。この山には、まさにそんな霊気を感じる。

富士山とともに、ミシュランガイド最高ランクの3つ星を獲得し、年間300万人という世界一多くの登山客が訪れる山だが、山内には、「翠靄」(緑の靄)と呼ばれる翠色の靄(もや)が立込め、厳かな霊山の空気感に包まれる。今なお、このような神秘的な姿をとどめていることが「霊気満山」と呼ばれる所以である。

この高尾山のシンボルである薬王院は、奈良時代に開山し、戦国期に後北条氏当主氏政が寄進した。名だたる戦国武将から戦の神として信仰された飯縄大権現が本尊である。その後、八王子城主となった氏照は武運を祈り、領地の寄進や、竹木伐採を禁じる制札の発給などによって、高尾山を篤く庇護したと言われている。

「霊気満山」の扁額がかかる高尾山薬王院浄心門
ご本尊の飯縄大権現が祀られる権現堂

高尾山はいかにして守られたのか

東京都心から僅か1時間、多くの観光客でにぎわう高尾山だが、その緑豊かな山はどのようにして守り継がれてきたのか。

八王子は江戸時代から養蚕や織物が盛んで、かつては「桑の都(桑都)」と称された。戦国時代末期、関東に覇権を握る北条氏の名将・北条氏照が城下町を拓き、都市基盤が整備された。 「霊気満山」の日本遺産物語は、この高尾山と「桑都」、それに北条氏照の滝山城や八王子城跡などが核になっている。この3者の関係を読み解くことが、この物語の醍醐味である。 そのストーリーはこうだ。

氏照は高尾山に武運を祈願し、領地の寄進や竹木の伐採を禁じる制札の発給など、高尾山を篤く庇護した。一方、養蚕農家は、大切な蚕を鼠から守るために「蚕守」の護符を薬王院に求めた。そして生糸や織物を扱った絹商人は、周辺の養蚕農家や機屋、江戸の問屋に薬王院の護摩札の配札を取次ぎ、高尾山の信仰圏を拡大させる一翼を担った。

人々は薬王院にご利益を求め、諸願成就の返礼として杉の苗木を奉納してきた。山内に建てられた数多くの石碑や、参道に並ぶ奉納板には、高尾山信仰の大きな特色である「杉苗奉納」が掲げられている。

北条氏照の拠点となった八王子城跡
高尾山信仰の大きな特色「杉苗奉納」

つまり、高尾山(薬王院)は、氏照や農民・商人たちの篤い信仰心のもとに古くから守られてきた山であり、それが今日、登山客を魅了する美しい霊気満山の山であり続けているということなのである。400年以上の前のこの取り組みは、さしずめ現代のSDGsの先駆けでもある。

日本遺産フェスティバルの開催

その八王子で、昨年11月、全国の日本遺産認定地域の方々が集う「日本遺産フェスティバル」が開催された。主会場となった東京たま未来メッセなどには開催2日間で約4万人が詰めかけ、会場外で開催された山車祭りや薬王院の護摩焚き供養などのイベントを含めると、何と11万人が参加するかつてない賑わいとなった。メッセのブースには全国104の日本遺産地域が勢ぞろいしたが、どのブースも持参した物産やパンフレットなどが瞬く間に売り切れるといったハプニングもあった。

日本遺産フェスティバルのブース風景(東京たま未来メッセ)
メインシンポジウム風景

このフェスティバルの事前準備も兼ねて、事前に高尾山や八王子城跡を訪ねた。薬王院の佐藤秀仁貫首にもご挨拶させて頂き、護摩体験もさせて頂いた。訪ねたのが新緑の季節ではあったが、緑豊かで冷やりとした高尾山の雰囲気は誠に魅力的であった。

高尾山を支えた桑都の織物産業は、最盛期に比べれば勢いは衰えたとはいえ、今も八王子織物工業組合はとても元気である。大学との連携などを通じて、織物技術の革新やデザインなど、次の時代に向けた新たな取り組みも盛んである。

こうした桑都の経済的繁栄は、地域の豊かな文化を育んできた。江戸時代以来の宿場町で、粋な町人たちは絢爛豪華な山車づくりを競い合い、まちを火事から守った鳶職は、江戸の木遣唄を継承した。明治期以降、賑わう花街で八王子芸妓が絹商人をもてなし、農村の娯楽からまちの芸能へと発展し た八王子車人形がもてはやされた。これらの伝統文化は、桑都とともに発展してきた今日の高尾山の年中行事であり、欠かすことのできないものになっている。

フェスティバルに併せて開催したシンポジウムでは、元文化庁長官で、地元多摩美術大学理事長の青柳正規氏の基調講演に続き、先の薬王院佐藤貫首、八王子車人形西川古柳座5代目家元の西川古柳氏、八王子芸妓の代表めぐみ氏らを交えたトークも開催した。日頃から懇意にされている方々のトークは、誠に地域愛あふれるもので、こうした人脈とそのネットワークが八王子の大きな原動力であることを実感した。

伝統は革新の中で継承される

シンポジウムでは、登壇者は異口同音に、伝統は革新があるから継承・発展できるという発言が印象的であった。

八王子車人形の西川古柳氏は、ご子息が跡とりとして頑張っておられるが、海外との交流の中で、例えばフラメンコの振り付けと伝統車人形の技の継承を図っている。
 

八王子車人形と西川古柳氏

八王子芸妓のめぐみさんは、地域の伝統文化、とりわけ伝統舞踊などの無形文化は、このコロナ禍で大きな危機に直面したが、その文化を継承できたのも、地域の方々との深い結びつき・支援があったからこそであり、八王子芸妓が地域の文化・心のよりどころとなれるように頑張りたいと語ってくれたのが印象的であった。 

 

八王子では、伝統の多摩織の技術を進化させながら、新たな領域の開拓にも取り組んでいる。今回のフェスティバルに併せて、同じ日本遺産地域の群馬県桐生市徳島県藍住町山形県などと連携した新しい商品づくりなどである。

伝統の徳島の藍(ジャパンブルー)や山形の紅花(ゴールデンレッド)の染めの技術を活かし、桐生の糸を用いて八王子で織り上げるという試みである。産地は今やどこも厳しい経営環境にある今だからこそ、産地間で連携して新しい分野を切り開くという試みである。今年は京都でも作品の展示などを行い、普及を図っている。ただ量産ができない現在、製品のショールやネクタイはかなりの高価にならざるを得ないが、こうした試みが他の日本遺産地域でもどんどんと進んでほしいと思うモデル的事業でもある。

4産地がコラボした新たな試作品

地域の食文化の継承・発展

今回のフェスティバルで開催されたテーマ別分科会では、この染織をテーマとする「染織の文化~染物 織物の技と美~)の他、地元薬王院にも因む「山岳信仰・修験の文化~信仰の文化がつなぐ人・地域~」、さらには各地の「食文化」をテーマとした「食文化」を活かした地域活性化に向けて」の3つの分科会が開催された。

全国の日本遺産ストーリーは誠に多様だが、その根底には地域の暮らし文化やそのシンボルとしての「食文化」が必ずある。言うまでもないが、食・食文化は地域交流(観光)の大きな切り札になる。

八王子は、昨年度、地域食文化を同じ文化庁の100年フードに申請し、古くから伝わる「かてめし」や地域ゆかりの桑の葉を使用した「桑都八王子のふるさと料理」が認定された。

八王子ふるさと料理と学校給食(写真は初宿八王子市長)

驚くのは、この郷土料理が1日4万食にも及ぶ小中学校の学校給食に採用されている点である。しかも、子どもたちの給食メニューはレシピに取りまとめられ、各家庭に配布し家庭料理としても普及しようという手の込んだ事業も行われている。

その状況を見せて頂こうと6月中旬、学校給食の試食をさせて頂いた。八王子では、地元の100年フードだけでなく、全国の100年フードのレシピをもとにした給食も提供している、この日は沖縄料理の給食であった。日本遺産の地域事業連携と同じく、食文化の地域連携が進んでいることに驚きとともに大いに触発された。

おわりに

八王子は、今でも江戸の粋を色濃く残す人口58万人の魅力的な中核市である。人口規模の大きな町にも関わらず、日本遺産への取組が、単に文化戦略だけでなく、MICEを含めた観光分野はもとより、地域の産業振興やまちづくりなど多様な分野に活かされている。

フェスティバルの交流会の場ともなった旧花街に設置された「桑都テラス」は、まさに中心市街地の活気を促す拠点でもあり、八王子の中心市街地・まちづくり戦略の一環である。ここは地域芸能や食を通じた市民や観光客との交流の場でもある。

日本遺産は、地域の総合力が試される地域プランディングの取組でもある。八王子のこうした多面的な取り組みは、まさに先進モデルにもなりえる素晴らしいものである。

まちなかの交流拠点となった「桑都テラス」

ライター
丁野 朗

ちょうの あきら

観光未来プランナー、公益社団法人日本観光振興協会総合研究所顧問、元東洋大学大学院国際観光学部客員教授、文化庁日本遺産審査評価委員

 

マーケティング・環境政策のシンクタンクを経て、1989年(財)余暇開発センター移籍。「ハッピーマンデー制度」や「いい夫婦の日」の提唱、産業観光などの地域活性化事業に携わる。2002年(財)日本生産性本部、2008年(公社)日本観光振興協会常務理事総合研究所長を経て、2017年よりANA総合研究所シニアアドバイザー、2020年より日本観光振興協会総合研究所顧問に就任。 観光庁、経済産業省、スポーツ庁、文化庁などの関係省庁委員や栗原市、呉市(顧問)、横須賀市、小田原市、舞鶴市、越谷市、益田市など各地の観光アドバイザーなどを務める。他に日本商工会議所観光専門委員会学識委員、全国産業観光推進協議会副会長、全国近代化遺産活用連絡協議会顧問なども務める。

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