新潟県燕三条 × 産業観光

新潟・燕三条、一生ものの道具を探す旅

(玉川堂 https://gyokusendo.theshop.jp/2)

更新日:

日本海に面し南北に細長い新潟県のほぼ中央に位置する燕三条。古くから金属加工を中心とした「ものづくりのまち」です。金属加工と聞くと、工業的で馴染みが薄く感じるかもしれませんが、燕三条で作られている製品は、鍋、やかん、包丁、フォーク・スプーンなどのカトラリー、ハサミ、爪切りなど、私たちにとってごくごく身近な道具が多いのが特徴。家のキッチンを見渡せば、燕三条で作られたアイテムが必ず1つはあると言われるほどです。 近年では、日々の暮らしを大切にし手仕事や生活道具にアンテナを張った人や、 “Made in Japan” の美しい製品に惚れ込んだ外国人旅行客が、東京・河童橋の道具問屋街やライフスタイルショップだけでなく地方の生産地にまで足を運び、永く愛用できる道具を探す姿も多く見られるようになりました。 そんな日本製の手仕事の中核ともいえるのが新潟・燕三条です。言わば、「燕三条」という場所自体が、職人技が光る逸品が集積する “こだわりの百貨店” のような場所。江戸時代に和釘(わくぎ)作りから始まった金属加工の技を今に受け継ぐ燕三条へ、一生ものの道具を見つける旅へ、さあ出かけてみましょう。

人口18万人、新潟の小さなまち燕三条がものづくりの最先端を走る背景

東京駅から上越新幹線「とき」に乗ること110分。信濃川の下流に広がる筑後平野の真ん中、JR燕三条駅に降り立った瞬間から、ものづくりのまちの雰囲気が漂っています。新幹線ホームから2階のコンコースに降りると、設置されたショーケースにずらり並ぶ多種多様な金物加工製品。包丁、金物、カトラリー、刃物類など、ここに拠点を置く工場(こうば)133社の自慢の製品です。さらに、駅改札を出たところにある「燕三条Wing」(燕三条駅観光物産センター)にも、観光案内所や休憩スペースとともに、この地でつくられたプロダクトが多数展示販売されています。それらは、従来の重厚長大型の金属加工のイメージを覆すスタイリッシュなデザインで、田園地帯に囲まれたこの小さな地方都市が、単に “地場産業が盛んな場所” という言葉では表わせない、日本のものづくりをリードする最先端であることに気づかされ衝撃を受けます。

燕三条駅に並ぶ、地場の自慢の道具たち (にいがた観光ナビ https://niigata-kankou.or.jp/spot/5729
品質だけでなく、デザイン性の高さも人気の理由(燕三条Wing(燕三条地場産業振興センター)https://www.tsubamesanjo.jp/wing/index.htm
「燕三条Wing」(燕三条駅観光物産センター)は、燕三条駅での電車の待ち時間に立ち寄ることができる

そもそも 「燕三条」と呼ばれるこの地域は、1つの町だと思われがちですが、燕三条駅の西側に燕市が位置し、東側に三条市が広がるという隣り合う2つの行政区の呼称。2市合わせて人口18万人ほどの小さな地方都市ですが、金属加工業分野において、世界的に注目される企業が集積しています。

ノーベル賞晩餐会で使用されるカトラリー(ナイフやフォーク)を提供する「山崎金属工業」、世界の工業製品を対象にした権威あるデザインアワード、ドイツの「iFデザイン賞」を2度も受賞した刃物製造をおこなう「藤次郎(とうじろう)」。また、日本の魅力を発信する外務省の海外拠点施設「ジャパンハウスロンドン」で2018年に開催された燕三条の企画展では、英王室のウィリアム皇太子(当時は王子)が公式訪問し、「玉川堂(ぎょくせんどう)」の鎚起(ついき)銅器製作の体験ワークショップに参加したことが現地でも大変話題になりました。

米どころ新潟の田園地帯に浮かぶ燕三条が、なぜ世界で一目置かれる存在となったのか、まずはそのルーツを探ってみましょう。

和釘から始まった金属加工技術の歴史、時代の変遷とともに柔軟に進化

燕三条地域と金属加工のつながりは今から約400年前の江戸時代(1603~1868年)初期に遡ります。

もともと燕三条のある越後平野は、信濃川、阿賀野川などの上流から運ばれた、肥沃な粘土質の土壌が堆積してできた大地。一方で、雪解け水を含む豊富な流水量と、蛇行を繰り返す大河は、度々氾濫を起こし、江戸以降の新田開発においては、河川改修や治水工事を繰り返しながら農地が切り開かれました。

信濃川と越後平野の田園地帯、日本海との間にあるのは弥彦山(画像提供:国土交通省北陸地方整備局 信濃川河川事務所) (工場の祭典 https://kouba-fes.jp/history/

ところが、越後平野の中央に位置するものの、信濃川とその支流に囲まれた燕三条エリアは治水がうまくいかず、度重なる川の氾濫による水害に悩まされ、思うように米作りができず農民は困窮していました。加えて、冬には農閑期があり、農民は生き残るための副業が必要でした。そこで始まったのが、未経験の農民でも作ることができた「和釘」の製造でした。

現代でも和釘は、神社・仏閣などの日本建築の修理・復元には欠かせませんが、その製造は、鉄線を熱し、金槌で一本一本叩き圧を加え変形させるもの。江戸から鍛冶職人を招き入れ製法を学び、副業としての和釘づくりが広まりました。燕三条の金属加工のはじまりです。

金槌で一本一本手打ちで仕上げられる和釘(画像提供:三条市 猪本功所蔵)(工場の祭典 https://kouba-fes.jp/history2/
時代によって形状が異なる和釘(画像提供:三条市 火造りのうちやま)(工場の祭典 https://kouba-fes.jp/2020/10/15/1154/


 さらに農家を兼業する鍛冶職人は、新田開発による需要が高まる中、鉄を使って鎌や鍬(くわ)などの農具の製造も始めます。和釘や農具の材料となる鉄は、当初、周辺地域の屑鉄を利用していましたが、その後は、燕近くの出雲崎港に北前船によって運び込まれた鉄が使われました。また、鍛冶に欠かせない木炭は、三条の山間部にあたる下田郷で大量に生産され、信濃川の支流である五十嵐川を利用して運ばれ、さらに製造された金属加工品は、商人によって信濃川の水運や街道を辿って、江戸をはじめ各地に流通されました。水害によって苦しんだ燕三条ですが、水運を活かした地の利を活かし、金属加工産業を大きく育んでいったのです。

1688年、燕三条と日本海の間に位置する弥彦山(やひこやま)の間瀬(まぜ)銅山から銅の採掘が始まったことも、金属加工の発展を後押ししました。江戸中期に入ると、間瀬銅山の良質な銅を求めて職人たちが会津や仙台から移住してきて、金属の表面を研削するための鑢(やすり)、銅板を鎚(つち)で打ち延ばして形作る鍋や花器などの鎚起銅器(ついきどうき)、刻みタバコを吸うために使う煙管(きせる)などの製造技術を伝え、金属加工の領域をさらに広げました。

煙管は日本伝統の刻みたばこ用の喫煙具

ところが、明治維新(1868年)以降、文明開化による西洋化の流れの中で、現在一般的に流通する安価な洋釘が入ってくると、和釘の需要は激減。さらに煙管も葉巻たばこに取って代わられ、燕三条の金属加工業は苦境に立たされます。この苦境に対し、燕三条の職人たちは、産業革命によりもたらされたプレス機など量産機械を導入し、鑢、鉈(なた)、鋏(はさみ)、ナイフなどの生産量を増加させ、鉄道を使いながら流通販路を拡大し対応、プレス加工の普及は機械での大量生産に欠かせない金型(かながた)技術もこの地に根付かせることになりました。

大正時代(1912~26年)に入ると、戦争を契機に、諸外国から金属洋食器(スプーンやフォークなど)製造が盛んになり、金型とプレス技術を活かしながらその需要に応えていきました。その後、金属洋食器の大量生産に成功。輸出によって外貨を稼ぐという活路を見いだします。第二次世界大戦後、欧米での需要拡大とともに、日本人の生活様式も徐々に欧米化していき、ステンレス加工技術が発達したことなどから、鍋、フライパンといった金属ハウスウェア産業も誕生。新しい視点をもち、商品開発にデザイン性を取り込んだ商品も早くから生み出し、多様化時代に対応しながら、市場を国内外に求めて発展していったのです。

(工場の祭典 https://archive.kouba-fes.jp/chronology/?lang=
(工場の祭典 https://kouba-fes.jp/history2/

このように一口に「金属加工」と言っても、多様な材質、製法、工程、それらを組み合わせた製品、そしてそれらを支える技術があります。燕三条の企業は、自然災害、社会情勢、景気などの外的要因に翻弄されながらも、時代のニーズを汲みながら、それらを掛け合わせ、柔軟に事業の転換を図って産業を発展させてきたのです。

このように燕三条が度重なる逆境をプラスに転化しながら、力強く発展を遂げることができた原動力とはいったい何でしょうか? そのひとつが、職人や企業間のオープンな横のつながりです。同業種でも互いにノウハウを共有しあったり、技術を持ち寄ったり、自分の持たない技術を紹介し合ったり――。知的財産保護の重要性が盛んに叫ばれるこの時代のなかでも、燕三条では人と人との対話が当たり前に行われ、それらは地場の次なる革新のエネルギーへとつながっています。

例えば、金属研磨技術のスペシャリスト集団「磨き屋シンジケート」もその一つ。現在40社ほどが所属し、顧客の要望にあった研磨技術を、工業製品、半導体、医薬品関わらず、企業の枠組みを超えて紹介・提供します。こうした取り組みは、伝統の研磨技術を、多様な分野へと出会わせ、例えばアップル社の携帯型音楽プレイヤーiPodのピカピカの背面、航空機の主翼などにも応用されています。

「磨き屋シンジケート」は金属研磨技術のスペシャリスト集団
(磨き屋シンジケート https://www.migaki.com/works/ti%e3%83%90%e3%83%ac%e3%83%ab%e7%a0%94%e7%a3%a8/
刃物はもちろん、工業製品、半導体、医薬品の磨きのニーズに応える
(磨き屋シンジケート https://www.migaki.com/works/ti%e3%83%90%e3%83%ac%e3%83%ab%e7%a0%94%e7%a3%a8/

燕三条の職人たちは「自分たちがやっていることは特別なものでもなんでもなく、当たり前のこと。食べていくために必要だったこと」と口にします。技術への誇りを持ちつつも、金属加工で生き残るために必要なことは何でもするという彼らの精神こそ、燕三条のものづくりが、永年にわたり最先端を走り続ける根底にあります。

ものづくりをもっと身近に、工場の開放=オープンファクトリーの取り組み

燕三条の伝統の技と革新の精神は、金属産業発展における過去の歴史ではなく、いまなお、変遷の続きとしてさまざまな進化を続けています。そのひとつが、「多くの人に、ものづくりの背景を知ってもらいたい」と始まった、「オープンファクトリー」の取り組み。いわば「大人の工場見学」です。先駆けとなったのが、2013年にスタートした「燕三条 工場の祭典」。金属加工のメッカ燕三条地域の名だたる企業100社以上が一斉に工場(こうば)を開放し、訪れた人がものづくりの現場を見学・体感できるベントです。

燕三条の職人たちは、それらの技術は自分たちが生きていくために必要な、当たり前の仕事であり日常だといいますが、オープンファクトリーで製造過程を目にし、伝統技術や職人たちの想いを目の当たりにすると、「壊れたから、新しいものを買う」といった現代の大量生産・大量消費型のライフサイクルでなく、「お気に入りを選りすぐり、壊れたら修理しながら長く使い継ぐ」ことの喜びや美しさを自然と感じます。それは、近年盛んに目にするSDGsといった大局的な流行り言葉ではなく、日常の当たり前の手ざわりとして、その精神がすっと身体に入ってきます。

2023年の工場の祭典は10⽉26⽇(木)~29⽇(日)の4日間。工場を訪ね歩きながらお気に入りの生活道具を見つけたり、オフィシャルツアーに参加すればより深く技術やプロダクトの魅力に触れることができます。

燕三条 工場の祭典 2023 ポスター
様々な展示やワークショップなども行われる
(工場の祭典 https://kouba-fes.jp/?ac=1&lang#a04
(工場の祭典 https://kouba-fes.jp/?ac=1&lang#a02

一方で、イベント実行副委員長の山田立さんは、「一過性のお祭りでなく、ものづくりの良さに共感してくれる人に、年間を通じて燕三条の工場を訪れ、技術や手仕事に触れてほしい」と言います。10年余りにわたる継続的なイベント開催により、会期外にもオープンファクトリーを行い日常的にものづくりの現場を公開する企業が増えたのも「工場の祭典」の大きな成果。「4日間のイベント会期を非日常とするのではなく、より多くの人に燕三条を知ってもらい、日常的にものづくりの背景を知ってもらう機会を提供したい!」――。そんな、想いから次なる取り組みとして生まれたのが、2023年3月、JR燕三条駅のコアワーキングスペース「JRE Local Hub 燕三条」内にオープンした、地場企業と県外メーカーのビジネス・マッチングスペース「燕三条こうばの窓口」です。燕三条エリアにある主要な工場の技術見本が一同に会し、コンシェルジュが目的にあった技術を持つ企業の紹介や斡旋をおこなってくれます。企業向けのビジネスマッチングだけでなく、一般の人にとっても燕三条のオープンファクトリーめぐりの情報収集拠点として利用できるので 「一生ものの包丁を探したい」「海外の友人にプレゼントする日本らしいデザインの生活道具を探したい」など、目的に合わせて気軽に立ち寄ることができます。

燕三条駅に2023年に誕生した「燕三条 こうばの窓口」
(PR Times https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000044.000025559.html
地場のものづくり企業を紹介するカードがずらりと並ぶ
(PR Times https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000044.000025559.html
気になる工場のカードを持って、工房めぐりへ出発しよう
(PR Times https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000044.000025559.html

いざ “ものづくりワンダーランド” へ、五感で職人技と先進デザインを探しに工場へ

現在、燕三条には約4000社ともいわれる工場が点在しますが、10月の「工場の祭典」会期中はもちろん、年間を通してオープンファクトリーを開放し見学を受け入れている工場、豊富なプロダクトが並ぶファクトリーショップやレストランを併設した場所があります。お目当ての工場は、燕三条駅の観光案内所「燕三条Wing」などで手に入るオープンファクトリーマップ、「こうばの窓口」はもちろん、MOC(ものづくりコンシェルジュ)のウェブサイトからも探すことができますが、ここでは燕三条ブランドをリードし続け、製造工程の見学も受け入れている4つの工場をご紹介します。

日本の鎚起銅器の最高峰、仏のシャンパーニュメゾンも惚れ込んだ玉川堂

18世紀後半、奥州仙台から製法が伝わった鎚起銅器(ついきどうき)の技術を継承したのが、1816年創業の玉川堂(ぎょくせんどう)の初代玉川覚平衛でした。以来、200年に渡ってフランスの老舗シャンパーニュメゾン「GRUG(クリュッグ)」からも認められ、同メゾンから依頼を受けてコラボした究極のボトルクーラーも世界的に玉川堂では、一枚の銅板を打ち延ばし縮める錬金鎚起の技術で生活道具を作ってきました。銅器は使えば使うほど艶や味わいが増す生きた器。茶器や急須のほか、コーヒーポットやドリッパー、一輪挿しなどが製造され、銅の持つ保温機能と、美しいフォルムの優れたデザイン性が世界的にも高く評価されています。老舗の伝統と風格、確かな技術は、フランスの老舗シャンパーニュメゾン「GRUG(クリュッグ)」からも認められ、同メゾンから依頼を受けて実現した究極のボトルクーラーも老舗メゾンのコラボとして話題になりました。また、6代目の実弟、玉川宣夫氏は木目状の模様を打ち出す技法(=木目金(もくめがね))を確立し、2010年に人間国宝に認定されています。

燕市の玉川堂燕本店では、多数の道具を取り揃えているほか、併設の工場では1日5回銅器の製造工程の見学ができます。

(玉川堂 https://niigata-kankou.or.jp/experience/10006#
(玉川堂 https://gyokusendo.theshop.jp/2
(玉川堂 https://www.gyokusendo.com/news/42
(玉川堂 https://www.gyokusendo.com/about/tsubame
(燕三条夢創紀行(燕三条ブランド推進部) https://www.tsubamesanjo.jp/kanko/factory/%e7%8e%89%e5%b7%9d%e5%a0%82/

 

「爪切り界のロールスロイス」、SUWADA

SUWADA(諏訪田製作所)は1926年の創業以来、「刃と刃を合わせて切る」というニッパー型の刃物づくりに特化し、商品の開発から材料選び、仕上げまでを同社の職人が行っています。主力の爪切りは国内外で賞賛され、「爪切り界のロールスロイス」の異名をとるほど。その切れ味、使い心地、フォルムまでが最高級品とされます。爪切り1つ作るのに約50の工程があり、すべての工程を職人がハンドメイドで担当。60~70年前に製造した爪入りが顧客からメンテナンスのために同社の工場に届けられるなど、一生ものの爪切りと言われる所以です。盆栽や園芸用の各種鋏類、カトラリーやソムリエナイフなども製造しており、世界に顧客を持ち、とりわけプロのネイリストや医療関係者ら専門家からの評価も高いのも特徴です。

三条市のファクトリーショップ「SUWADA OPEN FACTORY SHOP」では、工場見学ができるほか、おしゃれな社員食堂も一般向けに開放されており、ランチやカフェを楽しむことができます。ショップでは、限定品やアウトレット特価品の販売もあります。

 (SUWADA https://www.suwada.co.jp/about_ja
 (SUWADA https://www.suwada.co.jp/about_ja/factory
 (SUWADA https://www.suwada.co.jp/about_ja/craftsmanship
 (SUWADA https://www.suwada.co.jp/about_ja/craftsmanship
 (SUWADA https://www.suwada.co.jp/about_ja/craftsmanship
(SUWADA https://www.suwada.co.jp/about_ja/factory
職人向けの食堂では、ランチやカフェ&スイーツが楽しめる (SUWADA https://www.suwada.co.jp/about_ja/restaurant

大人気の ”パンくずの出ない” パン切り包丁、包丁工房タダフサ

テレビ番組で大絶賛されたパン切り包丁など、普段使いの家庭用包丁で人気の包丁工房タダフサ。番組放送直後は特にパン切り包丁は入荷2~3年待ちという大ヒット商品に。1948年に創業し、漁師向けの特殊な専門刃物や農作物の収穫用包丁など、高い技術によってかつて900種類もの刃物を製造していました。ところが、2011年の東日本大震災の影響で漁業用刃物の受注が減少したことなどから、一般向けに本格派家庭用包丁の製造を開始。7種の包丁(三徳、パン切り、ペティナイフ、牛刃、出刃、子出刃、刺身)を揃えた「基本の3本、次の1本」シリーズを発売、広く一般消費者にも知られることに。パン切り包丁はパンくずがほどんど出ないだけでなく、パンの切り口が滑らかなのが特徴。SNSでのクチコミにも後押しされ、その人気は海外にまで広がっています。

三条市の直営店「庖丁工房タダフサ ファクトリーショップ」で行っている包丁の製造工程の見学は、事前予約が必要で料金1,000円で、ハズレなしの見学ガチャ(購入割引券やオリジナルアイテムなど)のおまけつき。また、期間によって包丁作り職人体験なども開催しています。

(タダフサ https://www.tadafusa.com/product/koubou_2
(タダフサ http://www.tadafusa.net/?pid=144491231
(タダフサ https://www.tadafusa.com/
(タダフサ https://www.tadafusa.com/
(タダフサ https://www.tadafusa.com/

デザイン性が高く機能的な包丁メーカー、切れ味の一歩先を目指す藤次郎

世界の工業製品を対象にした世界三大デザイン賞のひとつ、ドイツの「iFデザイン賞」を2度(2022年:Tojiro x TSBBQのアウトドア包丁、2012年:Tojiro Origamiシリーズ)も受賞するなど、世界から高い評価を得ている藤次郎。もともと農機具メーカーとして、1953年に創業、フルーツナイフや包丁の製造を続けてきました。同社の包丁は、日本刀の製造技術を受け継ぎ、切れ味抜群でありながら、扱いやすく、高い耐久性と、研ぎ直すことで切れ味が戻り、一生使い続けられるというのが特徴。そのデザインの良さも人気の秘密です。世界約50カ国で販売されており、今では売り上げの約半分は海外からの注文だそう。

燕市にある「藤次郎オープンファクトリー」では、包丁の製造過程の見学、ショップでは商品やアウトレット品の購入はもちろん、名入れサービスも行っています。

(藤次郎 https://tojiro.net/news/21738/
(藤次郎 https://sanjo-school.net/spblog/?p=2458
(藤次郎 https://tojiro.net/history/
(藤次郎 https://tojiro.net/openfactory/
(藤次郎 https://tojiro.net/reading/8732/

今回ご紹介した4社以外にも、燕三条エリアではいくつもの工場が見学者を受け入れています。受け入れに制限があったり、事前予約が必要な工場もあるので、訪問前に事前確認を忘れずに! 機能性とデザイン性を足し引きしながら、自分自身が長く愛情を注げる一品を探し当ててみましょう。

ものづくりの現場以外の、新潟の旅の体験も忘れずに

燕三条のものづくりを別の角度から体験できるのが「燕三条イタリアンBit」。東京都内にも店舗がありますが、燕三条駅近くの本店では、中越の大地が育んだ美食を、すべて燕三条エリアの食器で堪能できます。製造過程で出る排出材を使って作られたブランキングアートの照明器具にも注目。エントランスにあるBit Marketでは、レストランで使用している食器やカトラリー、パスタソース、お酒なども販売しています。

(燕三条イタリアンBit https://bit2013.com/news/ts-20230325
(にいがた観光ナビ ※メディアライブラリーの提供にはない画像 https://niigata-kankou.or.jp/feature/factory/top
(燕三条イタリアンBit https://bit2013.com/restaurant/restaurant-tsubamesanjo/

また、せっかく訪れたら燕三条駅から弥彦線に乗って田園地帯を抜け、縁結びのパワースポットとしても有名な彌彦神社、燕三条の金属加工の発展ともつながりの深い弥彦山もぜひ足を運びたいスポット。ロープウェイでアクセスできる標高634 mの弥彦山からは、広大な越後平野の田園風景、その反対側には日本海から吹き上げる力強い海風とともに、青い海岸線を眺めることができます。

彌彦神社
彌彦神社 拝殿

弥彦山からどこまでも広がる穀倉地帯を眺めると、この地が持つパワーを振り返り少し不思議な感覚に陥ります。田園地帯に点在する工場は、伝統技術と、優れたデザイン性を備える最先端プロダクト、職人やそれを支える人々の真剣なまなざしと革新の精神が交錯する、日本のものづくりのポテンシャルを感じる場所。近年では、若い世代が工房の門を叩いたり、県外から異業種の人が移り住んだり、彼らの視点が入ることでさらなるアイデアとイノベーションが起こり、確かな技術に裏打ちされた燕三条の金属加工産業がさらなる発展を遂げているといいます。

弥彦山ロープウェイからの眺め

和釘づくりから令和の時代を経て、この先燕三条の金属加工がどう進化していくのか。燕三条が生み出した日常に溶け込む道具を手に取り、使い継ぎながら、私たちも心躍らせながら見守っていきたいものです。

あなたにオススメ